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隠岐の島へ行ってきました。 ① [旅]

日が経ってしまいましたが、2泊3日の小旅行でした。
今回の旅行は親睦を兼ねての隠岐の島観光旅行。

北は北海道から 南は熊本の方々との旅行で、この集まりは 平成15年に行われた 
財団法人 日本遺族会主催の 
『西部ニューギニア慰霊友好親善訪問団』A班遺族(遺児)の集まりです。ジジ殿は遺児です。
戦没場所は違いましたが10日間 亡き父親の戦没地を廻っての慰霊で 
同じ境遇で気持ちも通じ合い 年に一度会いませんか?で会を作り 
ご主人様・奥様もご同伴で、でスタートしました。

会員は22名(同伴者含まず)。
愛知・大阪・神奈川・京都・岐阜・熊本・埼玉・滋賀・島根・東京・長野・福井 そして北海道。
各地の方が交替で幹事を担当、私どもも3回目で北海道をご案内致しました。
もう2巡目に入り 今年は島根県さん担当で 今回 隠岐の島旅行となりました。



隠岐の島アクセス         隠岐の総合観光情報サイトより
隠岐へのアクセス地図.jpg
隠岐の島へは、伊丹空港・出雲空港からの空の便と、七類港・境港からの船便。


23日 AM8:30千歳空港発便 ↓        
①千歳出発便 8時30分発.JPG
久し振りの空の旅、直行便で伊丹空港へ。

↓ 伊丹空港 12:45発で隠岐空港へ。    島根の方以外はここで合流でした。
③伊丹空港12時45分発 プロペラ機.JPG


隠岐の島が見えてきました。 
④13時45分 隠岐島が見える.JPG

隠岐島.JPG
この日は千歳を出発する頃から雨が・・・そして1日中曇りで厚い雲。
眼下が雲ばかりの空旅で、隠岐の島も曇り。
伊丹で離陸待ちで15分ほど遅れ、13:50近くに到着。


隠岐諸島は、訪ねて見て初めて知ることばかりで・・・・・

本土から隠岐海峡を隔てた北緯36度付近に位置する。
隠岐諸島は島後水道を境に島前(どうぜん)と島後(どうご)に分けられる。

島前は「島前三島」と呼ばれる知夫里島(知夫村)、中ノ島(海士町)、西ノ島(西ノ島町)から構成される群島であるのに対し、

島後は島前三島から島後水道を隔てた島後(隠岐の島町)の一島から構成される。
主な島はこの4島であるが、付属の小島は約180を数える。     ーネット引用ー

私達は島後の隠岐空港(隠岐世界ジオパーク空港)に着いたのです。
懐かしい挨拶を交わし、早速 バスで島内観光に入ります。

玉若酢命神社
   玉若酢命を主祭神とする神社で、隠岐造りの本殿・随神門・旧拝殿、ともに
   国指定重要文化財になっております。
④-1玉若酢神社.JPG
 修理中でした。

八百杉
玉若酢命神社の参道をのぼり、神門をくぐった右側にある、樹高38m、
根元の周囲約20mの県下一の杉の大木。 隠岐3大杉の1つ。 樹齢は千数百年とも2千年とも
いわれ、国指定天然記念物に指定されています。
④-3八百杉.JPG

⑤.JPG

④-4.JPG
その昔、若狭の国から人魚の肉を食べて老いることを知らない比丘尼(びくに)がやってきて、
総社に参詣し、後々の形見にと杉の苗を植えた。そして「800年たったらまたここに来よう」
といったところから、八百比丘尼杉と呼ばれ、いつしか八百杉といわれるようになったそうです。
  
玉若酢命神社に隣接する億家住宅は、国指定重要文化財で茅葺き屋根と隠岐造りが 特徴です。
億岐家は、大国主命の後裔で、
代々隠岐国造、隠岐国国司、玉若酢命神社宮司を務めた社家の家系。
①億岐家住宅.JPG

 玄関が3ヵ所あります。 位により それぞれの入り口が違ったそうです。

②億岐家住宅.JPG

億岐家宝物殿の内部は撮影して居ませんので ネットからお借りしました。
③ 宝物殿の宝物.jpg 
億岐家所有の隠岐国駅鈴、隠伎倉印、玉若酢命神社社家億岐家住宅は、
国の重要文化財に指定されています。


駅鈴、驛鈴(えきれい)は、日本の古代律令時代に、官吏の公務出張の際に、
朝廷より支給された鈴である。

646年(大化2年)1月1日、孝徳天皇によって発せられた改新の詔による、駅馬・伝馬の制度の
設置に伴って造られたと考えられており、官吏は駅において、この鈴を鳴らして駅子(人足)と
駅馬または駅舟を徴発させた。駅では、官吏1人に対して駅馬1疋を給し駅子2人を従わせ、
うち1人が駅鈴を持って馬を引き、もう1人は、官吏と駅馬の警護をした。

現在残っている実物は、国の重要文化財に指定されている
隠岐国駅鈴2口(幅約5.5 cm、奥行約5.0 cm、高さ約6.5 cm)のみである。   ーネット引用ー


隠岐の島は 古くから遠流の島として知られ、小野篁、伴健岑、藤原千晴、平致頼、源義親、
板垣兼信、佐々木広綱、後鳥羽上皇、後醍醐天皇、飛鳥井雅賢などが流されたとあります。

私が知っているのは せいぜい 後鳥羽上皇、後醍醐天皇くらいです。
この島に流された人は結婚は許されなかったそうですが、そこはそれ(^_-)-☆ 本土に帰される時は
一切のものを持ち出すことを許されず、身一つで返されたそうで、ガイドさん曰く
世が世であれば ○○の末裔が・・・・・と笑って話されていました。
長くなりました。次回に続けたいと思います。
        
                  ご訪問ありがとうございます。
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